DOMINISTYLEでは珍しい?、
ちょっと堅いタイトルです。
“下町歴史部”の田中教授にお書きいただきました。
浅草で70年近く過ごしてきて、
「私の身体は浅草の食べ物と情で出来ています」
という、街絵師の田中教授。
生まれ故郷の福井で終戦を迎え、福井の大地震を経て東京へ。
いろんなことを人生の糧に変えてきたその目線で、
下町のこと、下町で感じたことを
徒然なるままに…。
教授こと、田中けんじ編、
はじまりはじまり〜。
私は画業を生業とする浅草の住人です。
下町の春秋四季を描いて50年になります。
そんな私が言うのも可笑しいですが、
ここ暫く(コロナ禍になる前から)、
仲見世には足を踏み入れていません。
何しろ、芋を洗うような外国人観光客の賑わいに、
地元民すら裏道を抜けるのも一苦労でした。
ところが一年前のコロナ禍で状況は一変、
観光客はパッタリ途絶えて、
ハトまで見かけません(関係ないか…)。
久し振りに参道を歩いたら、石畳に感激して、
まるでお上りさんです。
そんな私の画房に、
5歳になるおしゃまな孫娘が遊びにやってきました。
たどたどしいひらがなメモを渡され…
〈 きめつのやいばかまどねずこ 〉
と、書いてあります。
どうやら話題の人気アニメ『鬼滅の刃』竈門禰豆子グッズのおねだりのようです。
調べてみると本は一億二千万冊、映画は330億円以上の興業収入と記録づくめ、
それほどの人気ならマゴマゴしていられない。
孫に負けじと映像を観たところ…
“アッ!”と驚きました。
なんと大正ロマンの浅草風景が登場したのです。
幟(のぼり)はためく興業街、
当時日本一の高層建築「凌雲閣」が映っています。
・・・実は一年前にその景色を、
浅草に開業した御宿『野乃』のレストランに描いていたのです。
『野乃』の前が瓢箪池で、
六区の劇場街と凌雲閣が水面に映る浅草を代表する景観でしたが、
大正12年の関東大震災で壊滅、地元からも忘れ去られます。
それが一世紀を経て「鬼滅の刃」に登場したのですから驚きです。
更に『野乃』館内の天然温泉が《凌雲の湯》とあれば聖地巡礼の宿です。
長年浅草を題材にして偶然が重なり、絵描き冥利に尽きる出来事でした。
《新型コロナが奪ったふれあい》
幸せな世の中を襲った新型コロナ、
私たちは家族や友人との日常的なふれあいのなかで、
心が豊かになっていきます。
ところが新型ウイルス感染症は、
こうした何気ない人間的つながりを奪った感じがして、
少し寂しい気持ちになっています。
ソーシャルディスタンス・三密・多人数での会食に注意するなかで、
《黙食》と言う、一見、味気ない言葉が登場しました。
ところが文豪・永井荷風はその道の達人でした。
毎日、市川の自宅から浅草にやってきて、
洋食のアリゾナ・そばの尾張屋・どぜうの飯田屋と一人きままで優雅なる《黙食》。
つまり孤独のグルメを楽しんでいたのです。
今はコロナ禍のなかで、
一人一人が自己管理をしっかりして、
体力と栄養・睡眠で免疫力をつけ、
〈自分は無症状の感染者かもしれない〉ぐらいの気持ちで心だけは密にして、
仲間や家族への思いやりの中で生きるのが、
もはや避けては通れない『環境の世紀』の心構えではないかと思っています。
〜 文 田中けんじ(街絵師)〜
田中けんじ氏のご紹介はこちら。
『いま、街絵師。
生涯、食べ道楽。』
DOMINISTYLEでは珍しい?、
ちょっと堅いタイトルです。
“下町歴史部”の田中教授にお書きいただきました。
浅草で70年近く過ごしてきて、
「私の身体は浅草の食べ物と情で出来ています」
という、街絵師の田中教授。
生まれ故郷の福井で終戦を迎え、福井の大地震を経て東京へ。
いろんなことを人生の糧に変えてきたその目線で、
下町のこと、下町で感じたことを
徒然なるままに…。
教授こと、田中けんじ編、
はじまりはじまり〜。
私は画業を生業とする浅草の住人です。
下町の春秋四季を描いて50年になります。
そんな私が言うのも可笑しいですが、
ここ暫く(コロナ禍になる前から)、
仲見世には足を踏み入れていません。
何しろ、芋を洗うような外国人観光客の賑わいに、
地元民すら裏道を抜けるのも一苦労でした。
ところが一年前のコロナ禍で状況は一変、
観光客はパッタリ途絶えて、
ハトまで見かけません(関係ないか…)。
久し振りに参道を歩いたら、石畳に感激して、
まるでお上りさんです。
そんな私の画房に、
5歳になるおしゃまな孫娘が遊びにやってきました。
たどたどしいひらがなメモを渡され…
〈 きめつのやいばかまどねずこ 〉
と、書いてあります。
どうやら話題の人気アニメ『鬼滅の刃』竈門禰豆子グッズのおねだりのようです。
調べてみると本は一億二千万冊、映画は330億円以上の興業収入と記録づくめ、
それほどの人気ならマゴマゴしていられない。
孫に負けじと映像を観たところ…
“アッ!”と驚きました。
なんと大正ロマンの浅草風景が登場したのです。
幟(のぼり)はためく興業街、
当時日本一の高層建築「凌雲閣」が映っています。
・・・実は一年前にその景色を、
浅草に開業した御宿『野乃』のレストランに描いていたのです。
『野乃』の前が瓢箪池で、
六区の劇場街と凌雲閣が水面に映る浅草を代表する景観でしたが、
大正12年の関東大震災で壊滅、地元からも忘れ去られます。
それが一世紀を経て「鬼滅の刃」に登場したのですから驚きです。
更に『野乃』館内の天然温泉が《凌雲の湯》とあれば聖地巡礼の宿です。
長年浅草を題材にして偶然が重なり、絵描き冥利に尽きる出来事でした。
《新型コロナが奪ったふれあい》
幸せな世の中を襲った新型コロナ、
私たちは家族や友人との日常的なふれあいのなかで、
心が豊かになっていきます。
ところが新型ウイルス感染症は、
こうした何気ない人間的つながりを奪った感じがして、
少し寂しい気持ちになっています。
ソーシャルディスタンス・三密・多人数での会食に注意するなかで、
《黙食》と言う、一見、味気ない言葉が登場しました。
ところが文豪・永井荷風はその道の達人でした。
毎日、市川の自宅から浅草にやってきて、
洋食のアリゾナ・そばの尾張屋・どぜうの飯田屋と一人きままで優雅なる《黙食》。
つまり孤独のグルメを楽しんでいたのです。
今はコロナ禍のなかで、
一人一人が自己管理をしっかりして、
体力と栄養・睡眠で免疫力をつけ、
〈自分は無症状の感染者かもしれない〉ぐらいの気持ちで心だけは密にして、
仲間や家族への思いやりの中で生きるのが、
もはや避けては通れない『環境の世紀』の心構えではないかと思っています。
〜 文 田中けんじ(街絵師)〜
田中けんじ氏のご紹介はこちら。
『いま、街絵師。
生涯、食べ道楽。』
DOMINISTYLEの活動を楽しんでいただくために、様々な活動を行っています。サウナビギナーで、最近、ウィスキングに興味津々。