下町歴史部

『激動のオリンピック』


「聖」という文字を見て、
皆さまは、何を思い浮かべますか?

聖徳太子であったり、
聖夜であったり、
最近なら、藤井聡太八段にまつわる“棋聖”であったり。

下町歴史部のこの方は、
やはり歴史の長さというか、
深さを感じさせる思いがあるようです…。

教授こと、田中けんじさん、
よろしくお願いいたします。





コロナ禍で延期になったオリンピックが、
今夏に開催される予定です。
昭和39年の東京大会以来2回目になりますが、
私は幻のオリンピック?の年(1940年)に生まれており、
3度目の正直です。


昨年、
ブルーインパルスが青空に五輪マークを描き、
当時の感激が蘇ったものです。
私の娘も1964年の開催中に誕生して、
聖火の一文字をメモリアルネームにしています。
その年生まれの子には五輪にちなんだ名が多く、
現職の議員にもいらっしゃるので親しみを感じています。

2020年5月29日、東京都上空を滑空するブルーインパルス。
都内で撮影したのですが、ズ、ズームの限界…。(by 編集部)



平和の祭典とは言っても、
歴史的背景が密接な関わりを持っていると考えています。
江戸時代から社会が安定していた日本は、
明治になって西欧文明を導入して近代化の道を歩んでいきます。
日清・日露戦争、自由民権運動、第一次世界大戦、大正デモクラシー…と、
めまぐるしい時代の中で、軍国主義が台頭し、
戦雲がたちこめてきてしまいました。

そんなきな臭さが漂う昭和15年に私は生まれました。
その年は2つの慶事が予定されていて、
皇紀二千年にあたる国を挙げての大慶祝祭と、
日本で初めてのオリンピック開催です。

ところが当時の我が国は世界の反発を招き、
オリンピックどころではなくなってしまったのです。
ついに昭和16年12月8日、米国に宣戦布告。
太平洋戦争が始まりました。

4年間の戦いで、国土は荒れ、
350万人以上の犠牲者を出して全面降服したのです。
福井市に生まれた私は、当時5歳。
初めての記憶は
深夜の夜空にゴーゴー響く大爆音、
サーチライトに浮かび上がるB29戦略爆撃機128機の大編隊、
ヒュルヒュルと落下する焼夷弾で焦熱地獄の街…
母と川に飛び込んだりと火だるまで逃げ回り、
九死に一生を得ました。
現在あるのを不思議に思う時があります。

日本中が焼け野原となり、食べる物もなく、
この先数百年は立ち直れないだろうと世界は見ていました。
ところが、鬼畜と信じたアメリカの敗戦国占領政策は、
思いもよらぬ穏やかなものだと、私は感じたのでした。
民主主義による復興を後押ししてくれたように思ったものです。
それに応えて誠実な国民が汗を流し、
戦後から僅か19年にして国力を回復せしめ、
新幹線を走らせ、
昭和39年東京オリンピックを成功させて、
世界を“アッ!”と言わせたのです。

明治維新に始まり、
西洋文明を取り入れたり、戦争ありの100年、
まさに、『激動文明の象徴が東京五輪』でした。


さて、今回のオリンピックは、
そんな歴史をあざ笑うかの、未知なるコロナとの闘いです。
人類が経験したことのないパンデミック(世界的大流行)を乗り越えて、如何に大会を成功させるか…。

ローマ神話の『パクス』(PAX)は平和と秩序の女神ですが、
英知をめぐらす人類においても今回の試練、
神頼みとなるや否や。
しかし、パンデミックも永遠に続いたわけではありません。
日本人は国難あるごとに心が一つにまとまる力を持っていると信じています。

打ち勝った証しとしての成功を心より祈願しています。


〜 文 田中けんじ(街絵師)〜


「ここは浅草の西側、かっぱ橋。私のアトリエもあるんですが、通りに立つと実際に東京スカイツリーが見えるんです。今年もたくさんの外国人の方に見ていただくはずだったんですけどね〜…。
それはそうと、このお店のシャッターは、かっぱの頭をイメージしながら、UFOも描きました。ハッハッハッ」と田中教授。





著者名:

DOMINISTYLEの活動を楽しんでいただくために、様々な活動を行っています。サウナビギナーで、最近、ウィスキングに興味津々。