下町歴史部

谷中・根岸の散歩みち(1)
『夕やけだんだん』

昭和、平成、そして令和を歩く田中教授。
絵筆から0.4mmペンに持ち替えて、
いよいよ力が入る筆の先。

そこから紡ぎ出されていくのは、
時代が変わっても楽しめる下街散歩の水先案内です。
今日から連続3回、
谷中、そして根岸を歩きます。

では、ごゆるりとまずは脳内散歩から…

↓ ↓ ↓




同じ下町でも、谷中にあって淺草にないものに坂道がある。
上野の大地の北に位置する谷中散歩は、日がな一日小さな旅となる。
入り組んだ露地や坂が防波堤になり開発を免れた谷中は、
古き風情が新鮮に感じられる。

日暮里駅を出て、なだらかなようで意外に手強い御殿坂。
月見寺の本行寺を右に見て、馬の背の諏訪台に登りつめたら、
上野に通じる「初音の道」である。
正面に下ればこれぞ下町《夕やけだんだん》の登場である。


本来は丹沢山塊に沈む夕陽と言いたいが、
正面にマンション群が立ちはだかっては、
夕景も幾分寂しくなった。
暮らしやすさか景観か、
論争は永遠のテーマである。

明々とした谷中銀座、
威勢の良いかけ声、
惣菜のにおいが漂ってくる。
下町の情景をこれ程仕舞こめる“だんだん”は、
そうざらにあるものではない。

行政区としてもユニークだ。
商店街の右側が荒川区、
奥が文京区、
左側が台東区と、
谷中銀座は三区連合仲良し商店街。

古代に遡れば東京湾の入り江であり、貝塚の里。
弥生人も海と富士山、丹沢に沈む夕陽を眺め、
ロマンチックな感慨に浸ったかも…。

谷中のシンボル「朝倉彫塑(ちょうそ)館」は幻想的ーー。
朝倉文夫の芸術、館内の仕掛けに言葉がない。
一見の価値あり。
初音の道は上質の散歩道。
木工細工、折り紙、古道具屋の趣き、築地塀の寺町。
文豪や著名人が眠る谷中墓地は桜の名所。
今どき珍しいおまわりさん一家の駐在所があって、
桜通りの桜さんは有名人だった。


上野公園に近くなれば「寛永寺」。
切り通し「新坂」を下れば、
今や東京の怪しさを一手に引き受ける?『鴬谷』。
だが私のような古い人間には懐かしさ漂う『うぐいす谷』ーーなんと風情ある地名であろう。

“ホーホケキョ……”

木から木へ、初春の訪れを告げる愛らしい啼き声、
そんなさえずりも、
京都からやってきた寛永寺「公弁法親王(こうべんほっしんのう)」には微妙な耳障り、
「江戸の鶯は訛がひどうて…」。
そこで、上方から声自慢を取り寄せ、
山内に放した。やがて上品に混ざり…

《ホーーホケキョ……ケキョケキョ……》

粋な趣きが粋人の心をとらえたか、
上野山蔭は文人墨客が穏棲の場とし、
豪商は別宅を構えた。
これが山趣『鴬谷』の由来とされる。

〽春立たば 我が家に鶯 鳴きにけりーー。

明治大正期は愛鶯家の舞台となる。
幕の内から気をもむ風情、《鶯の鳴き合わせ》。
その日となれば商人は店を休み、
自慢のウグイスを籠に入れ、
料亭「鶯春亭(おうしゅんてい)」に持ち寄った。
耳をそばだて最初の鳴き声を待つ…
やがて競って“ホーホケキョ!”
春告げ鳥の競演は、風流人の極みであった。


次は鴬谷の『新世紀』へ…

<文・イラスト 田中けんじ>

田中教授の執筆は、ここ淺草のカフェ バッハにて。
15時の夕やけだんだん。




著者名:

DOMINISTYLEの活動を楽しんでいただくために、様々な活動を行っています。サウナビギナーで、最近、ウィスキングに興味津々。