下町歴史部

隅田河畔の歴史散歩
<後編>
『南千住の歌姫』

今から800年ほど前、平安時代から始まった<前編>。
戦国武将を“さん”付けで呼んでから一夜があけて、
今日は、昭和からスタート。

田中教授が仰った「知られざる実話」に迫っていきます。






終戦から一年過ぎた昭和21年夏、
山谷に近い南千住三丁目、
東京瓦斯(ガス)タンク川沿い「第四瑞光小学校」校庭に集まった人たちは、
可愛いい豆歌手(九歳)の澄んだ声に生唾を呑んだ。
童謡か並木路子の「リンゴの唄」を期待する観衆を前に、
この夜、くっきりと浮んだ月に手をかざし、

『〽あれをご覧と指さす方(かた)に 
 利根の流れをながれ月
 昔笑うてながめた月も
 今日は今日は 涙の顔で見る♬~』

「天保水滸伝」平手造酒(ひらてみき)の“大利根月夜”を、
小節をきかせて朗ゝと唄いはじめた。
落魄した平手造酒の無念さ哀しさを、
声だけでなく身ぶりよくあらわしている。
観衆は信じられぬ思いで見つめ直した。

『一体この少女は何者?』

※天保水滸伝…天保年間、下総一帯で笹川繁蔵や浪人・平手造酒(ひらてみき)が争闘した事件。講談、浪曲で話題に。



――新しい生き方を模索する新型コロナ時代となったが、
いつまでも自宅待機では気が滅入る。
久ゝに気分を一新すべく
子供や孫たちとホテル26階の〈武蔵〉で食事を楽しんだ。
眼下の花やしきに孫は気も漫(そぞ)ろ、
五重塔・浅草寺・箱庭を前にスカイツリーと自慢の眺望だが、
北に目を向けると汐入にお化けメロンが並んでいる。
家族に目をやりながら、
あの南千住ガスタンク周辺の歴史話をしようか…。

その場所は840年も昔のこと、
治承4年に源頼朝が対岸の隅田宿(すだじゅく)から、
三万人の軍勢で橋場石浜に渡り、
態勢を整えて鎌倉で天下を握る出陣地だったのさ。

室町時代には石浜城が存在したり、
江戸中期には真先銭座が設けられるなど歴史宝庫だが、
今は広大な東京瓦斯(ガス)の敷地に忘れ去られている。
だが、戦後その地に、明るい都市伝説が生れたんだ。

74年前、「第四瑞光小」校庭に舞台と矢櫓(やぐら)が組まれ、
楽団をバックに“美空ひばり”が第一声を上げ、
空高く雲雀(ひばり)のように飛び立って行った。
今となっては、記念すべき場所なんだよ。

……娘の主人、勇一郎が目を輝かせた!

『エッ!そこは僕の卒業した学校ですョ。』
隅田川を背にした教室の窓から
紙ヒコーキを飛ばしっこした懐かしい母校だけど、
それは知らなかった。
尤(もっと)も生まれてなかったけど……



――「美空ひばり」の母、諏訪喜美技は南千住三丁目に生れた。
一帯は常磐炭鉱の石灰が集積する交通の要衝地で、
石炭小売商の長女として実家を手伝う働き者だった。
昭和10年、横浜で魚屋を営む加藤増吉と見合い結婚し、
昭和12年に加藤和枝、後の「美空ひばり」が生まれる。

毎週のように娘を実家に連れてきた。
祖母のシサが孫の和技に会いたがるのだ。
シサは浪花節が大好きで、
七色の声を出すと言われた天中軒雲月※や寿々木米若※が「木馬館」にかかると
まっ先に足を運んだ。
幼ない和枝に、三門博※の唄入り観音経のレコードを聞かせると、
またたく間に憶え、身振りよく唄うので、
シサや喜美枝は目を丸くした。

澄んだ声に小節(コブシ)のうまさ、
浪曲の節まわしが絶対音感を思わせる。
シサ自身も玄人はだしと評判で、
隔世遺伝かも知れない。

喜美枝も長谷川一夫に憧れ後援会に入ったり、
マルベル堂でプロマイドを揃えるなど芸能人好き一家にして、
娘の才能がただものではないことに気がついていた。
天才的な音感と美声は、天下の歌姫になる可能性がある。
それを花咲かせるのは自分の役目だと心に決めた。

家族を説得し、私財を投じて楽団を設立する。
芸能界で一人立できるかを試すため
南千住を最初のステージに決め、母校の許可を取り、
友人にはずんだ声をかけ近隣にポスターを貼った。
その結果は想像以上で観客は無名の少女に涙を流し聞き惚れた。
その満足気な姿に、充分な手応えを感じたのである。

※天中軒雲月(てんちゅうけん うんげつ)、寿々木米若(すずき よねわか)、三門博(みかど ひろし)は浪曲師。




――「美空ひばり」は、
天才少女歌手として横浜からスタートする。
ほどなく映画の世界でも輝くようになった。
……三年後の昭和24年八月、自信に溢れる12歳のひばりを
再び「第四瑞光小」に連れてきた。
お世話になった故郷の人たちへの、御礼を込めた凱旋公演である。
校庭は観客で埋めつくされ、圧倒的な歌唱力に酔い知れ、
会場はオーラに包まれた。
そして温かい心で大歌手への道へ送り出したのである。


ひばりの親戚の一人、地元の諏訪志希里(しきり)さん(77)は、
「父と一緒に国際劇場の裏口から“ひばりさん”の楽屋に行きました。
いつも温かい歓迎を受けて、お祝い用の花束や飾ってあるネックレスなどを、
“コレ持って行っていいョ!”と気前よくもらったものです。
でも、だんだん人気が凄くなって、
親戚とはいえ恐れ多い存在に感じ、
目立たぬように応援することにしました。
そんな私たちを気づかってか、
プレゼントしてくれたのが桂時計です。」



――ひばりが第一声をあげた、
喜美江の母校「第四瑞光小」は統合で廃校になり、
隅田川汐入河岸は水害対策を兼ねた都内有数の土手堤、
散歩とサイクリングロードになった。

陽を浴びて燦ゝ(さんさん)と輝くスカイツリー。
隅田の川面は、
穏やかに時代を見つめている。

 『あゝ、川の流れのように♬……』







<文・イラスト・資料 田中けんじ>



隅田川の流れにはきっと
いろんな人の人生が写って来たんだと思います。
そう、今この瞬間も。

そして、
ご自身の経験や、いろんな資料、先人のお話から、
田中教授の目にもまた、
いろんな人の人生が写っているのでしょう。

この下町歴史部は、
そんな田中教授の人生ライブラリーを映し出すところ。

史実だけではなく、
その時の人々の心に寄り添い、
紡ぎ出す田中教授の筆先は、
まだまだこれからも続きます。

そして…
ドーミーインも、
さまざまな人生の一部になることを願って、
旅人に寄り添い、とどまることなく、
川のように流れ続けます。

ドーミーイン・Global Cabin浅草の足湯から見た隅田川。



浅草国際通り沿い。建設現場の防護壁の画は、田中教授の作品。「ビルが立つと撤去される壁だけど、前を通る子供たちが、少しでも楽しんでくれたらいいね」
「遊びで、孫と私も入れちゃった。アッハッハ!」ですって。



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スタッフみんなの便利屋さんです。DOMINISTYLEの活動を楽しんでいただくために、時にはブログ、たまに部活、あるいは商品開発でお会いいたしましょう。