下町歴史部

浅草と上野のあいだ。
<前編>
『かっぱ橋』

さて、鴬谷から谷中を歩いて
一週間の締めを羽二重団子で満喫した、
下町歴史部の田中教授。
今週は、ご自身の工房がある地元、
かっぱ橋商店街をぶらぶら歩きのようです。

全国に“かっぱ”がつく名所はいろいろありますが、
“道具”に関係するのはここだけかなぁ…





かっぱには三つの約束がある。
水かきと甲羅、頭に水いっぱいのお皿があれは天衣無縫、
夕暮に池の辺りを酔っぱらいが通ると引っ張り込み、
人の尻に手を入れて、好物の「尻子玉」を引っこ抜く…

かっぱ寺には「河童の手?」が現存する。
《水虎の手》と呼ばれ、長さ11センチ。
細長い4本の指先に鋭いつめがあり、
牛や馬を水中に引きずり込む力を持っている。
百年ほど前に都内の蔵から出たもので、
「曹源寺・かっぱ堂」に納められた。


合羽橋道具街の守護神は『河童大明神』。
交差点近くには、黄金かっぱ像が鎮座する。
江戸時代からこの辺りは水はけが悪く、洪水に悩まされていた。
地元の合羽屋喜八が水路工事を始めると、
墨田川のカッパたちが、夜な夜な手伝いにきて、
水路工事を完成させ、水はけが良くなったと云う。
お陰で道具街や周辺は発展、かっぱは今や街の鎮守である。



――徳川幕府は江戸開府から半世紀後の万治二年(1659)、
千束池一帯を、排水路として開鑿(かいさく)することになり、
現在のかっぱばし道具街の通りに人工的な新堀川が誕生した。

これにより、長い間田畑を潤し、
《入谷・浅草田圃(たんぼ)》として親しまれた。
川幅は四メートルほどで、合羽橋・田島橋・菊屋橋が架けられ、
鳥越川に合流して隅田川にそそいでいた。

江戸から明治に入っても堀割の役割は変らず、
“ギーッ、ギーッ”という櫓の音、“魚や!”の売り声、
葛西・浦安方面から小魚、アサリ、ハマグリ、シジミを積んだ小舟が、
合羽橋辺りまで上ってきた。
明治二〇年頃には川沿いを鉄道馬車や市電が走行するようになった。

ところが大正十二年の関東大震災で周辺は一変する。
復興の都市化は著しく、湧水は枯渇の一途をたどり、
川底も浅くなり水質悪化。昭和初年に蓋がかけられ、
二六七年の歴史に幕を閉じた。
暗渠(あんきょ)は雨水の排水路となっている。

――歴史と現実の狭間には、時に思わぬ時代を垣間見る。
食のプロから料理好きまで、今や全国に知られる「合羽橋道具街」。
その一角に、忘却の呼称『堂前』がある。
三七〇年前、その地に江戸屈指の大伽藍『浅草三十三年間堂』が威容を誇っていた。

三代将軍家光の代、新両替町(現・銀座二)に
弓師備後なる人物がいた。
時局認識に勝れた才人で弓術家でもある彼は、
武術向上を願う弓道館を発企したのである。
家光と信望が深い寛永寺天海僧上に、
京都蓮華院三十三間堂の堂形を、
浅草に建立することを提案した。
直々の伺いに家光は、
「尚武とあらば武術奨励に叶うもの」と建設は許可された。
今の道具街に面した松ヶ谷二丁目にかかる地である。


――寛永十九年十一月(1642)、丹碧(たんぺき)に映える
南北一二〇メートルの『浅草三十三間堂』は竣工した。
三十三は柱と柱の間の数である。
豪華絢爛威容見たさに見物人は群れをなし、
江戸はおろか、諸国から来堂する。
堂の鎮守社矢先稲荷神社は、今も崇敬を集めている。

「通し矢」は西縁側で行われ、
「通し矢」が行われる日は、庭に竹矢来が設けられる。
夕刻から松明篝火(たいまつかがりび)が焚かれ、
煌々たる明りに群衆驚視の大声援、
翌日の夕方まで一昼夜の射術競技である。
寛文四年(1664)の記録に弓師鈴木は、
「一日五千三百本を射通す。」とある。
当時最高の通し矢と称賛され絵馬が堂に掲げられた。
 

――元禄十一年(1698)、
新橋南鍋町からの火の手は南風にあおられ、
日本橋から浅草、千住を燃え尽くす大火になった。
三十三間堂は焼け落ち、五十六年の歴史を閉じた。
この日寛永寺では、京都から中堂に掲げる額が届いたことから、
「勅額(ちょくがく)火事」と呼ばれた。
 

――10年ほど前のこと、早朝、「奥山おまいりまち参道」で
シャッター歌舞伎絵を描いていた。

“お早ようございます。”

元気な声で挨拶を交わす浅草寺詣での梶原徳二さんがいた。

その頃、浅草三十三間堂の存在を知った私は、
文献、資料蒐集に奔送していた。
調べて見ると、何んと浅草三十三間堂の敷地上に
梶原さんの会社と自宅があることが判明した。

梶原さんの会社は国内を代表する製菓機器製作会社であり、
会社前が「浅草堂前」と呼ばれ、
400年前、そこに丹碧の大伽藍「浅草三十三間堂」が建っていたのです。

そこで地元に、絵で復元したい構想を相談すると同意され、
氏子諸氏の賛同を得て、話はとんとん拍子に進み、
平成二十九年~三十年にかけて、
矢先稲荷神社神楽殿に筆を執ることになったのです。


<文・イラスト 田中けんじ>







今日はここまで。
明日は、田中教授が描いた浅草三十三間堂から少し西に入ったところに、
散歩の舞台を移します。

「50年以上も前に通っていたこちらの“喫茶店”。現在は別の店主に変わっていますが、いろんなご縁があって、最近、シャッター絵を描かせてもらいました。つい最近完成したばっかりです。」と、田中教授。こちらも、かっぱ橋商店街のお店。
教授も笑う、ベティちゃんも笑う…




著者名:

DOMINISTYLEの活動を楽しんでいただくために、様々な活動を行っています。サウナビギナーで、最近、ウィスキングに興味津々。